飲食・流通の現場で感じた課題や気づきを記録するノート

KURU フィールドノートは、
飲食店の仕入れや流通の現場で実際に起きていることを、
立場を決めつけず、構造として記録するためのノートです。
特定のサービスを紹介することを目的とせず、
現場で感じた違和感や問いを、そのまま残しています。
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    仕入れのことを何も把握できていなかったのか

    飲食店を実際に運営してみて、
    一番強く感じた違和感は「コストが高いこと」ではありませんでした。

    仕入れに関する情報が、まったく見えないこと。
    それが一番の問題でした。

    食材原価は、売上の30〜40%を占めます。
    これは多くの飲食店で共通していると思います。

    だからほとんどの店は、
    「有名だから」「隣の店が使っているから」
    そんな理由で業者を紹介してもらい、取引を始めます。

    肉、野菜、水産、調味料。
    一つの店舗で、5〜7社と取引するのは珍しくありません。
    自分の店も、まさにそうでした。


    ある日、ふとこんな疑問が浮かびました。

    「今使っているこのごま油、
    一番安く仕入れているのは、どこだっただろう?」

    すぐに答えが出ませんでした。

    同じメーカー、同じ商品なのに、
    納品書はすべて紙で、
    業者ごとにバラバラに届き、
    連絡手段も電話、LINE、FAXと分かれています。

    お金を払っている側なのに、
    自分が“何を、いくらで買っているのか”を
    一覧で把握できない。

    この構造そのものが、おかしいと感じました。


    野菜や水産は、さらに分かりづらい。

    毎日価格が変動します。
    それなりの金額を払っているにもかかわらず、

    • なぜ価格が上がったのか
    • なぜ下がったのか
    • 他の業者も同じ状況なのか

    それを知る術がありません。

    業者に電話をすると、こんな返事が返ってきます。

    「ニュース見てないの?
    燃料費が上がってるでしょ。円安でしょ。」

    では、他の業者もすべて同じかというと、そうでもない。
    この時、はっきり分かりました。

    これは価格の問題ではなく、
    情報が不透明すぎる問題だ。


    発注業務は、さらに深刻でした。

    1日に6社へ発注する。
    LINE、FAX、電話が混在する。

    その日に
    「どこに、何を、どれだけ発注したのか」は、
    翌日の納品書を見るまで分かりません。

    しかも、店には
    発注を担当するスタッフが4〜5人います。

    • 誰が
    • どの業者に
    • 何を発注したのか

    全体を把握している人は、誰もいません。

    売上の30〜40%を占める、
    最も重要な領域が、
    情報不足・アナログ・そして“信頼と勘”で回っている。

    正直、かなり異常な状態だと思いました。


    だから、こう考えるようになりました。

    「これは人の問題じゃない。
    構造の問題だ。」

    業者を100社、1000社並べて、
    価格を自動で比較できて、
    相場を一覧で確認できる。

    紙の納品書ではなく、電子で納品内容を確認できて
    発注・納品書・請求書が
    業者ごとに分断されず、
    一つの流れとして整理される仕組みがあれば。

    飲食店にとっても、
    業者にとっても、
    もっとフェアで、説明しやすい形になるはずだと。


    この考えを整理し始めたのが、2022年でした。

    最初から「サービスを作ろう」と
    思っていたわけではありません。

    目の前の店を運営する中で、
    このおかしな構造をどうにかしたかっただけです。

    そうして、現場で実際に使うことを前提に、
    開発者と一緒に試行錯誤を重ねてきました。

    今の KURU の構造は、
    その時の問題意識から生まれています。


    このフィールドノートは、
    KURUというサービスを説明するために
    書いているものではありません。

    飲食店を運営する中で、
    仕入れや流通の現場で感じてきた
    違和感や、うまくいかなかったこと、
    そして構造的におかしいと感じた点を
    そのまま記録しています。

    もし、この文章を読んで
    「これ、うちの店の状況と同じだ」と
    少しでも感じる部分があれば、
    それは決して珍しいことではないと思っています。